コラム第13回
「心機一転」
昨年もあっという間に過ぎ去り、またもやドラムがメンバーチェンジ。 あわただしくもライブのスケジュールを決めた。新たなスタートだ。何事もやってみなければわからない、ドキドキが心地よく迫っている。音源もつくろう。
コラム第12回
「冬」
昨冬、10周年記念LIVEを行ったが、あっという間に1年が経過し、また冬を迎えた。今年はメンバーチェンジもありながら、音源の製作、イベント開催、少しのツアー、無事(?)バンド活動を行えた。たくさんの出会い、刺激、感謝をもらい、少しの挫折、憤りもまた味わうことができた。12月、ライブは残り数本であるが、冬の歌を歌おう。 12月14日、あいつが帰ってくる。
「復活」 何度めかの仕切りなおしライブが近づいてきた。リハーサルには余念がないものの、不安は常にある。ツアーを重ねたメンバーとライブをした時でもも、必ず不安はつきまとってきた。「一寸先は闇」。これはネガティブな言葉ではない。闇だから面白いのである。 新曲も出来上がった。さっくりと自分の気持ちとリンクしていける曲だと思っているが、ライブで演奏するとどう転ぶかはわからない。未体験への不安と期待。楽しい1週間がはじまった。
姉の第2子が誕生したとの報あり。「一姫、二太郎」で男の子。おめでとう。こんにちは。
この街に住みようになり、10年が経った。町並みも変わり、去る人、新たな出会い、いろいろな場面が次々と浮かんで廻る。 少し年を重ねた自分は成長したのだろうか?堕落したのだろうか?シドビシャスの写真が大きく印刷された勧誘ビラを俺に渡した師匠は元気そうであった。「YOUTH OF TODAYを聞きながら腕立て伏せをした」と語ったあの先輩はお元気であろうか? この10年、全ての出会いに感謝。 「しじみ〜貝、しじみ〜貝」。カンザワにこだまする蜆売りのアナウンスは、微妙にリニューアルされたようだ。 コラム第10回 「ミルコ優勝」 またもやビート氏にペイパービューしてもらった「PRIDE無差別級GP 」を観戦する。地上最強の男にはミルコクロコップが輝く。彼の母国、クロアチアでは最近まで内戦が行われ、今もなお対立が渦巻く地域である。彼自身もテロ対策特殊部隊でその格闘術を磨いたという。今回の大会を通して彼は凄まじい精度の打撃をみせた。準決勝のヴァンダレイシウバ戦、またジョシュ戦では両試合ともに相手の目を破壊という冷静かつ残酷な技術を見せつけて優勝。ノゲイラ、シウバ、ジョシュの3選手も素晴らしかった。 「4月某日」 あいかわらず天候に左右される気分に辟易しながら、やたらと歩く。ぱんちは外出しているらしい。住み慣れてきた街であるが、知らなかった景色、建物、空気、季節の匂いなど、新たな発見は多い。楽器屋さんにて、他にお客さんがいないのを確認しつつ、ギターを何本か試奏。それぞれの音がこんなにも違うことに驚くと同時に、自分のギターの下手さに驚く。 阪神タイガース金本選手、連続フルイニング出場世界記録更新おめでとう。カープ名物の猛練習は今季から減ったみたいです。 コラム第9回 「7月某日 藤田散る…」 新規S.P.Nメンバーのビート氏にペイパービューしてもらった「PRIDE無差別級GP
」を観戦する。地上最強の男を決定する総合格闘技の世界大会である。無敵のミドル級王者、ヴァンダレイ・シウバが急遽参戦し、その対戦相手が藤田に決定した時点では、「藤田ならやってくれるのでは…」という期待を胸に、ネットや新聞での速報に目を伏せて、結果を一切知らずに一人ビデオ観戦した。新日本プロレスから総合格闘家に転向し、様々な夢を見せてくれた藤田選手の試合ぶりは、不器用であるが骨太で、壮絶な試合となった。結果は打たれすぎた藤田にセコンドがタオルを投入しTKO負け。無念…。その後の試合では、柔道王、吉田秀彦もミルコクロコップにローキックで完敗…。薄暗いアパートで一人格闘技のビデオを見ながら涙を流す男が一人。 コラム第8回 「4月某日」 あいかわらず天候に左右される気分に辟易しながら、やたらと歩く。ぱんちは外出しているらしい。住み慣れてきた街であるが、知らなかった景色、建物、空気、季節の匂いなど、新たな発見は多い。楽器屋さんにて、他にお客さんがいないのを確認しつつ、ギターを何本か試奏。それぞれの音がこんなにも違うことに驚くと同時に、自分のギターの下手さに驚く。 阪神タイガース金本選手、連続フルイニング出場世界記録更新おめでとう。カープ名物の猛練習は今季から減ったみたいです。 コラム第7回 「11月某日」 久しぶりに母校の大学に行く。聴力を測る目的であった。A木ボンバイェ氏のゼミの後輩の知り合いみたいな人が卒論研究でデータを集めているらしい。普段からライブハウスの爆音に浸かっている自分の聴力が気になったので行ってみた。雪が降りそうだなと、今季初登板のダウンジャケットを引っ張り出してみたが思ったより暖かく、「はずしたかな」と思う。A木と学食でカレーうどんを食べた。食後にコーヒーを飲んでいると雪が降り出していた。 あいかわらず何か壁を感じてしまう教育学部の薄暗い廊下の奥の1室にて聴力測定は開始された。被験者6名(FATMAN2名、A木含む)が測定を始めた。アンケートには「年間何回ぐらい大きな音(ライブ、カラオケ等)の場所に行きますか」という質問があったので、「年間150回」と書く。測定がおわり、あっさり帰されそうになったが、結果が気になったので質問してみると、「右の耳で、あまり高い音が聞こえていないですね」と言われた。やっぱり普通の人よりは低下しているらしい。少しへこみつつも、左が聞こえているからいいや、と思い測定室を出ようとすると、学生の方から手厚く見送られてしまい、恐縮した。 時間が少しあったので喫煙室(旧娯楽室)にてコーヒーを飲んだ。雪は止み、嘘のような日差しが差し込んでいた。A木ボンバイェらの話しに参加しつつも、私は数年前の学生の頃を思い出していた。喫煙室(旧娯楽室)から見える風景は相変わらずであったが、そこには、あの日の私も、あの日のあいつもいなかった。あの頃ここで描いていた自分の生き方と、5年後の現在の自分の生活とが、斜めに差し込む強い日差しによって照らしあわされていた。「守るべきもの」は守れているのか?「捨てるべきもの」は本当に捨てていいものなのか? いろいろな思いが頭を巡りつつ、退室し、出勤する。 年間150回爆音で満たされる私の職場も、今日はひっそりとしている。10年前に発売されたEastern
youthのアルバムを再生する。ラジカセは右側にあった。右耳から伝わる熱い音は、そんなある日の感傷を軽くぶっ飛ばし、心まで射抜くのであった。 「曲をつくりたい」と思いつつ、メールを開いた。
コラム第6回 「解散」 遠く離れた地で、また一つのバンドが解散するという話を聞いた。 4年ほど前に出会って、その後頻繁に会うというわけではなかったがツアーに誘ってもらったり、たくさんお世話になったバンドだった。事情に関しては詮索しない。誰でもいろいろあるのは痛いほど分かっているから。「恩返しもできずに」という気持ちもふりきれないが、まだ続けられている自分を幸せだと思うと同時に、メンバーそれぞれの新たなる道に幸あれ と願う。 コラム第5回 「RANCIDを観た!!」 猛吹雪の湯瀬温泉を越え、辿り着いたZepp仙台2月5日夜、あの4人は演奏を開始したのです。 開演前、仙台はもとより東北各地から素敵なROCK馬鹿たちが続々と集まっておりました。思わぬ再会もたくさんありました。どこで会った誰であったかは忘れたけれど、私と話をしたことがある人も何人か見かけました。対バンの彼だったか、どこかでライブしたときのお客さんでしょうか? RANCIDにはじめて出会ったのは15歳だったか16歳だったか。初めて買ったアルバムは「AND OUT COME THE
WOLVES 」輸入盤CDでした。強烈なジャケットとPUNKの王道を行くサウンドに、道北の片田舎、古い木造の2階にて私はぶっとばされたのです。判別が非常につきにくい歌詞カードをみては、英和辞典片手に訳してみたりもしました。隣町の強烈なバンドもRANCIDのコピーバンドでした。ライブを見に行くのは大変怖かった事も思い出します。 右利き2名、左利き2名のあの4人組みは男の夢を乗せてほぼ途切れることなく、SHOWを叩きつけていきました。「観た」というよりRANCIDを「実感」している自分がそこにおりました。新旧織り交ぜた名曲たちが空間を飛び交っていきました。7年前にS.P.NPOWERがはじめて演奏した曲「OLIMPIA
.WA」も音の壁として立ちはだかりました。 「TIME BOMB」を演奏した後、あの4人は一度ステージからいなくなりました。「One More!!」の歓声の中、左端のギタリストは「ROOTS
RADICALS」 を弾き語りはじめました。18歳の頃、必死でベースを弾きながら歌う練習をしたこと、なぜかあの頃持ち歩いていた鞄(ルパン3世の字体でトレパン3本と書かれていた)などの思い出とそのギタリストが必死で歌う姿が重なります。残りの3人も次々に現れ、ついにあの4人が再びステージに揃いました。4人揃ったサウンドが再び空間を埋めました。気がつくと私はZepp仙台の人の海の上にいました。 「RADIO」のイントロが響きました。最高潮に盛り上がる客席の中、私は半ば立ち尽くしていたのでありました。 “When
I got the music, I got the place to go.” 諦めそうになったり、行き先を見失いそうになった時、エンディングに繰り返されるこのフレーズに何度助けられたことか…。 あの4人は笑顔で去っていきました。夢から覚めたような、そんな余韻を残し、彼らは次の土地へ向かいました。終演後、雪のちらつく会場に長居はしませんでした。再会した旧友を探すこともしませんでした。感動を確認する必要はないでしょう。みんなはまた、行き先を見つけたはずですから。 コラム第4回 「昨年をふりかえって」 2004年になりました。 年頭ということで、昨年を振り返ってみたいと思います。 一言で言ってしまえば、「いろいろあった」というのが一番適切でしょうか。まぁ、時間が流れている以上、誰しもいろいろなことが起こるのは当たり前なのですが、私にとりまく状況に急激な変化、いかんともしがたい変化が立て続けに起こった年は、ここ数年では見られなかったことでした。 1月、2月、3月 アルバムの製作に追われる。忙しい反面、期待が膨らむ。 4月 北海道ツアー。 北海道の留辺蕊町にて交通違反、免停…。 5月 宙ブラリと仙台、弘前で共演。宙ブラリ、香月のラーメンを絶賛。 6月 アルバムのレコ発を敢行。 7月、8月 夏らしく、イベントに参加。SET YOU FREE in
東北やSTANCE PUNKSツアー、仙台対抗戦、八食ライブ等、非常に楽しくお酒に呑まれる。 9月 HAWAIIAN6 in Mag-Netでテンパル。 メンバーの脱退ライブ。この時ばかりは人が集まる。改めて旧メンバーの話し下手に気づく。 10月 新メンバー仮決定。間髪いれずに新メンバーでライブを行う。怒涛のスケジュールで一からやり直し。 11月 東京、千葉プチツアー敢行。ぱんちがベンチで寝る。(前の日は落ちていた) 12月 サポートドラムが逃走。EQUALがんばってください。新宿LOFTのステージに旧ドラムと共に立つ。 こんな感じの1年でしたが、来年もまたいろんな事が起こるんでしょうねえ。いろいろなことがあった分、いろんな人といろんな話ができました。また新しい出会いもありました。未来は真っ暗だから面白いんです!これだから人生やめられません。 コラム第3回 「雨降り」 雨が降っています。 雨はマイナスな記憶を運んできます。小さい頃、腕の骨を折った日も、フテ寝した後、目を覚ますと雨が降っていました。仲良しだった友達が転校していった別れの日も雨でした。 雨が降ると外で遊べなくなります。仕方がなく家の中で少人数で遊ぶと、普段外で遊んでいる時に見えなかった、友達のいやなところや、よその家庭の痛みが見えてしまいます。 ひとりぼっちの雨降りはつらいです。どうしようもない自分が見えてしまいます。雨音や雨降り独特の匂いが責めたてます。自分を見るのは怖いけれども成長するには必要な行いなんでしょう。
コラム第2回 「北の国から03'感傷」 |